須賀敦子さんの名前を初めて聞いたのは、確か大学の発表の場でだったように思います。ユルスナ―ルを研究されていた方の発表に、大学の先生たちが「須賀敦子」という名前をおっしゃったことを覚えています。
大学図書館ではめずらしい彼女の水色の書籍が地味な本棚の中で印象的だったのにも関わらず、須賀敦子全集を手に取ることはありませんでした。
(大学の図書館ではカバーの紙は取り去られて陳列されていました)
それがどういうきっかけで読むようになったのか、自分でも全く覚えていないのですが、ここ数年急に須賀敦子の作品を手に取るようになりました。
各作品に時系列に触れるのではなく、ただ全集を気の向くまま、思いつくままに読む読書です。それに今手元には古本屋で見つけた文庫全集のうち、2と4しかないので、その中の作品にとぎれとぎれに出会っている状態です。
それなのに、きっと一生読み続けるだろうと思うのは、
日本語が美しく奥深く、作品が全く自分の中で消化できないのです。
彼女の作品を読むとき、食べ物を咀しゃくして飲み込み栄養にする過程で例えると、
咀しゃくしているときは本当においしいし、味わって至福を感じます。
だけれども果たしてどんな味においしいと思っているのかを、
上手く言葉にできない状態が続いてしまうのです。
彼女の文体のどこも真似ができない、孤高の面白さを感じるのです。
だからといって、読んで難しい本だろうとは思わないでくださいね。
全集は確かにとっつきにくいけれど、様々なエッセイ作品が単行本としても出ているし、どれもが読みやすいし、決して万人受けしないわけではないのです。
だけれどもその読みやすさの中に、凛とした作者の姿を感じて、
いつまでも繰り返し読み続けてしまう。
なんだかまわりくどい説明になってしまいましたが、
良かったら時間に余裕のある読書に手に取ってみてください。
彼女の作品は魅力にあふれていているので、味わうのを
やめられなくなること、請け合いです。
もうひとつ、写真に写っているのは須賀作品に出てくる場所を巡った
これは写真も豊富で、須賀ゆかりの場所を丁寧に教えてくれる
紀行文(?)のような作品です。
イタリアに行ったことがないわたしは、全集とこの本を同時に読み進めながら
想像をふくらませて、いつか須賀敦子の体験した冬のヴェネツィアを訪れようと、
心に誓っています。