hon-nomushi’s blog

人生の友になる本との出会い

番外編ー映画「いただきます」

少しご無沙汰していました。体調等色々あり、休養中でした。

今は、元気に復活しつつあります。

昨日はアップリンク(渋谷)まで、素敵な映画を見に行ってきました。

 

itadakimasu-miso.jp

舞台となっている高取保育園では、玄米、みそ汁の食事が基本。たくさんかんで、おいしく食べて、たくさん運動して子どもたちが元気に過ごしています。毎年味噌も子どもが仕込み、できる限り自分たちで食べ物を作っている様子が一年を通して撮影されています。自主上映の映画では高取保育園だけだそうなのですが、今回劇場版には座間市の麦っ子畑保育園の様子も入ったとのこと。家族で見に行きました。

 

まずは本当に映像が美しくて、圧倒されました。すべての場面が本当に美しかったです。子どもたちがおいしそうにご飯を食べている姿が「生きている」という力に満ち溢れていて、ただそれを見ただけで感動して涙が出てくるほどでした。地味な、でも力に満ちたごはんの映像。海苔巻きや、ひじきの煮物。だしを取って、大切に作られた料理をたくさんかんでいただくこと。

 

子どもたちの顔を見ていたら「食べることが楽しい」ことは、一生の財産だと思いました。そして「食べることが大好きな子どもは、きっと自分のことを大切にできる」という思いが確信になっていきました。子どもたちが本当に生き生きしているのです。園長先生は何度も「食が大事です」とおっしゃっていました。

それは保育園が変わっても同じ。麦っ子畑保育園でも、子どもたちは動物性のものを使わない和食の給食をもりもり食べていて、たくさんたくさんおかわりしています。お皿に残ったコメ一粒も、拾って食べたりお皿をなめたり。(約1名、とても見慣れた方が…笑)

 

子どもたちの映像を見て「ああ、食べるっていいなあ、やっぱり大好きだなあ。」という自分の気持ちに気づきました。お菓子を食べたりケーキを食べたりするハレの日も大好きだけれど、やっぱりケの日の地味な(?)だしの味がちゃんとする煮物やごはん、自分が作る梅干しや、お味噌汁のある日があるからこそ、ハレの日が楽しいものになる。

 

特に小さい人は自分で食を選べないから、親がケの日のごはんを味覚を通じて伝えていく大切さ。ケの日のごはんは、命とからだを支えていくもの。小さい人ほどお出汁や味噌のおいしさが、ちゃんとわかるのですよね!そういう確信が映画を見てさらに腑に落ちました。

 

ケの日のごはんパワーが、もっと多くの方に伝わったらいいなあと心から思いました。本当においしいと思う、魂が求めるような食は、実はとてもシンプルなものなのかもしれません。たくさんの人がケのごはんパワーに気づいたなら、大切に作られたおしょうゆやみそがもっと流通して、幸せなごはんが増える。日本のものを使った調味料が、たくさんの家庭に常備されること。そうしたら良い循環がもっともっと生まれるような気がします。食に迷ったときなどにぜひ、見ていただきたい作品です。

 

グレーの可能性 『すっきりインテリアが心地いいシンプル暮らし』

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本屋さんで見て、「あ、これは!」と思ったインテリアの本です。

最近ミニマムなインテリアにとても惹かれているので、モノが多い部屋を見るとなんだか疲れてしまうのです。だからといってものすごくモノが少なすぎると、それはそれで面白くない。

 

そんな時、バランスが取れているキーワードが「シンプル」「すっきり」だと気づきました。モノが多くても視覚的にうるさくないお部屋だったり、シンプルだけどナチュラルなだけではない、面白い個性のあるお部屋。そんな実例がたくさん載っていて、ときめきながらページをめくりました。

 

中でもお気に入りは、グレーが基調の広瀬裕子さんのお宅。

グレー色味によってシルバーに近い光沢のあるものだったり、暗い雨の降る前の空のような色だったり、幅が本当に広い色だと思うのです。そんなグレーのグラデーションが、余すことなく生かされていて、本当に美しい部屋でした。

 

「グレー=あいまい」な色というイメージ。好きだけれど「好き!」と何となく何かに遠慮して言葉にできなかったけれど、インテリアでここまで美しく表現されているのを見たら、「やっぱりグレーが好きだ!」と再確認しました。

 

色々なお部屋を見ることで自分の好きなテイストを知る、というのは、

色々な方の着こなしを見て自分の好きなテイストを知る、のと同じプロセス。

やっぱり実際のお部屋を見ると、自分の目指す方向がわかり、気持ちがすっきりします。それこそが、こういったインテリア本を見る楽しみ。

 

 

別府の小さな冒険とお供 D&Department Project 大分 

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ちょうど一年前。初めて大分、別府に一人旅をしました。

大学院の学生だった頃、訳があり学部の授業をとっていました。その時の英語の先生が別府の話をしてくれて、いつか行ってみたいとずっと思っていたのです。その頃はあまり日本に興味がなく、国内の旅行はほとんど行く気もなかったはず。それでも記憶に残っているなんて、先生を通して知った別府が面白かったのだと思います。

 

それから10数年。去年たまたま一度だけ伺ったヨガの開催場所に、別府のB&B(ベッド&ブレックファースト)のきれいなパンフレットがありました。一度きり、それ以来全くそのヨガには通っていないので、まるでパンフレットに出会うために行ったようなものでした。それを見て別府に行きたいと思っていたことを、急に思い出しました。

 

それから数か月後。めったに一人旅のチャンスはないのですが、「ここだ!」というタイミングがうまく重なり、別府への一人旅が実行できることになったのです。

拠点はもちろん、パンフレットの宿「BEPPUくにさち」。宿に連絡をし、レンタカーを手配し、友人にこのD&Department大分をお借りしました。実は旅先で一人運転をするのは初めて。一人の時はなるべく公共交通機関で移動していたのですが、別府の案内を見るとレンタカーが最適のようで、決断。

 

知らない場所を運転するのは本当に緊張することだったのですが、やってみて、本当に良かった。この本に載っているピザが食べたくてインターに向かうと、ETCカードがないと入れないというアクシデントがあったり、霧が濃くなってきてドキドキしたり。

(別府インターの名物、しらすピザ、かぼすしぼり)

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温泉に行った帰り、車のカギが見当たらなくて焦ったり。駐車場の場所なんていつも覚えていないので、必死にメモしたり。まあ、慣れていない車の旅だったからこそのハプニングばかりでしたが、初めていつも運転をしてくれている家族のチカラに感謝をしたのでした。

 

車だったからこそ泊まることができたBEPPU☆くにさち。ホストのあまねさんの作ってくださった朝ごはんがおいしかった!あまねさんはたくさん、たくさん旅の情報をいただいただけでなく、地元の飲み会にも連れて行ってくださり、人のつながりにもたくさん触れられて、大満足の旅になりました。あまねさんのB&Bに出会えたから、この旅が実現したのだろうなと思います。一人でのんびりもよし、家族や友人と泊まるもよし、ロミロミマッサージも受けられます。マッサージを受けた後1階の自分の部屋に戻るだけでいいのが、本当に至福でした。

kunisachii.exblog.jp

 

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一人で知らない街を運転することは、人によってはなんでもないことかもしれません。でも、私にとってはそのことが冒険でチャレンジでした。あまねさんは「そうやって強くなっていくのよね」と、私の冒険をちゃんとわかってくださったのでした。

そうやって、どんな場所でも自由に自分のしたいことができるようになっていく。それこそ、「生きていて楽しい!」の一つの要素になることを再確認した旅でした。

 

 

それぞれのモノ選びと収納 Emi『わたしがラクするモノ選び』

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ずっと前から、収納の雑誌などで目にしていたEmiさん。しっかり書籍を読ませていただいたのは初めてでしたが、とてもわくわくしながら読みました。

 

今回はっきりしたのは、部屋全体のイメージが好きだと、選んでいるモノにも惹かれるものが多いということ。部屋全体のイメージには、どんなお箸をつかっていようが、影響はほとんどないように思えるけれど、使っている方がご飯を食べることを大切にされているかどうかは、なんとなく部屋を見ると伝わるものだと思います。

 

以前大量にとってあったインテリア雑誌を切り抜いて、自分だけのスクラップブックを作ったことがありました。人が住んでいる部屋と、そうでないデザイナーが作った部屋では、スクラップをしても面白さが全然違いました。雑誌の紙面では美しかった色合いが、人の暮らす部屋の深みの面白さには全くかなわなかったのです。そして、どんなに作りこまれていても、人の暮らす部屋とそうでない部屋は全く息遣いが違ったのです。モノの持つパワーや、あるものが愛されているかどうか。部屋全体を映すと、そんなことまで伝わるのだなあと驚いたのでした。

 

そしてEmiさんのモノたち。愛されていて、合理的に選びぬかれたものたちは、そこに収まる理由がはっきりしていて気持ちが良い。あいまいなものがあまりないから、潔いすっきりした空間が生まれているようにお見受けしました。合理的な収納とまさに通じるモノ選び!とても参考になりながら、楽しんですべてを読み終えました。言葉にして考えるのが得意な方は、特に納得のモノ選び基準では、と思います。

 

 

 

同じ街から様々な人を知る あさのあつこ『かんかん橋を渡ったら』

 

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ちょっと前に読んだ作品ですが、忘れられない一冊。

地方の人口が少ない街にある、ちいさなかんかん橋。そこを行きかう人たちの様々な人生を、章ごとに異なる主人公が生きる様を描いた一冊でした。

 

街の様子は一貫してさびれていて、大きな出来事もなにもない、話題にもならない小さな地方の街。でもそこを行き交う人たちには様々なバックグラウンドがあり、今がある。かかわりあう人の関係が、一人ひとりの人生とともに深く描かれていて、自分もその街にまぎれこんだかのようなリアリティのある小説でした。その深みをしっかり味わう読書になりました。

 

特に印象的だったのは、厳しい父から離れたくて早くして結婚、子どもを持った主人公の姿でした。幼いころから父の文句ばかり言う母。こんな結婚はしたくないと、自分で家庭を持ってみると若いことから起きる、結婚相手とのすれ違い。でも彼女は、かんかん橋を行き交う人に助けられて、初めて自分が人生の主人公だと気づき、人生を変えていく強さを持つようになっていきます。子育ての葛藤、人との関り、夫となる人との関係、そのすべてがリアリティにあふれていて、何度も人の強さにじんとなりました。

 

様々な人がいて、行き交うことで生まれる一つの街の歴史。本になったり、記録をされるものではない人たちの人生だけれど、それが本当にとおといものなのだと実感した読書でした。よかった。なんでもない偶然ですが、数か月後の義父の家に行ったら、この本が置かれていました。義父はどの主人公が印象に残ったか、今度聞いてみようと思います。

 

読むファッション 光野桃『おしゃれの視線・私のスタイルを探して』

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おしゃれということについて、初めて意識したのは中学校のころ。雑誌のnon-noが愛読書でした。とはいっても、その頃は眺めるだけ。雑誌のアイテム、アニエスベーに憧れたり、色々な装いを見ても、自分とつながる装いはなかなか思いつきませんでした。

 

そんなただ眺めるだけの雑誌でしたが、いつも楽しみにしていたのは光野桃さんのエッセイ。当時中学生だった私にとって、ミラノで暮らす著者のエッセイは強烈な印象で刻み込まれ、ヨーロッパへのあこがれはさらに強くなりました。そのエッセイが『おしゃれの視線』という一冊の美しい本になったとき、手に入れて読んだ感動は忘れられません。美しい写真と装丁、文章の味わい。初めてファッションについてのエッセイが、こんなにも美しい本だったとは、なんと幸福なこと。特に引っ込み思案だったイタリアの女の子が、自分だけの美しさを見つけた話をはじめて読んだ感動は、今でも鮮明に覚えています。

 

その光野さんのエッセイが、時を経てもう一冊の大好きな作品『私のスタイルを探して』と一緒に一冊の文庫になっていました。このスタイルはミニマムな本棚に完璧なボリューム。わたしの少ない蔵書の一冊になりました。

 

いつ読み返しても、いつも新鮮に「着ること」を考えさせてくれるエッセイです。まだまだ装うことに関しては悩むことが多いわたし。でもそっと寄り添い続けてくれるこのエッセイがあれば、その悩みの答えが必ずこの中にある、と思い、手元に置き続けています。

 

文庫も良いですが、機会があったら一冊だけの『おしゃれの視線』もぜひ手にとってみてください。写真の美しさにはっとする一冊です。

楽になるためにやめたこと おーなり由子『だんだんおかあさんになっていく』

 

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今日は子育て中におすすめの本と、我が家の子育てで、やめてみたら
自分がとても楽になったことをお伝えします。
 
現在我が家には今年4才になる子が1人います。
幼稚園年少に入る1年前から保育園に通っています。今は保育園2年目。
子どもはたいてい朝5時に起き、7時半ころ保育園へ。

わたしは 基本的に在宅勤務なので、子どもが保育園に行っている間、
だいぶ自由があります。そのはずなのに、なぜか子どもが帰ってくるといつも焦って、もっともっと自分の時間を得ようとしていました。

 

保育園からの帰り道は寄り道だらけ。結局特別なことがない限り、暗くなるまで外で遊びます。内心焦りながら時計をチェックし、適当なところで切り上げさせる。ごはん、お風呂が終わるまではスピードを上げて。「早く、早く!」と食べさせたりお風呂に入ったり。あるときふと、「なぜ焦っているんだろう?」と考えました。夕方確かにやることはたくさんあるのだけれど、早く色々を済ませることが、本当に夕方に必要なのかな?と思ったのです。

 

考えてみたら週末以外、ほとんど別の時間を過ごしている私たち。彼が家にいて自分のペースで何かをできる時間や、わたしや家族との時間は、平日は本当にわずかなのです。

 

日々の一緒に過ごす時間が短いと気付いたとき、わたしは「限りある一緒の時間を、もっと大事に過ごす!」と決めました。義務ではなく、心からそうしたいと。今が終わってしまったら、子どもはもっと大きくなってあっという間に手を離れてしまう。

一緒の時間を大事に過ごしたい、それが私の一番今したいことだとわかったのです。

 

子どもとの時間を集中して過ごすためにまずしたのは、夕方18時半からiphoneをおやすみモードに変えること。音が鳴るとつい気になってしまうので、最初から鳴らないように。家族にも「18時半からは携帯が通じません」とお知らせ。外のことに煩わされないためにできることを考えたら、私の場合はiphoneを触らないことでした。

 

ただ電話をオフにして、集中して子どもと過ごすことを決めたら、夕方が本当に楽になりました。電話を見るという行為や、外からの情報をシャットダウンすることで、目の前のことにこんなにも集中できるということに、自分でも驚いています。きっと私の脳は、多すぎる物を見ると混乱するように、子育てと情報整理を一緒にするようにはできていないのですね。

 

こうやって自分のやり方を見つけることが、だんだんおかあさんになっていくことなのかもしれません。もう子どもが4才に近いのに、まだ「私のペース」を優先したくて、おかあさんになりきれていないところがあるのはちょっと恥ずかしいけれど…。でもだんだんのペースは人それぞれ。そのとき子どもに無理をさせず、自分も無理のない方法が見つかるといいな、と気長に構えてみます。この本をゆっくり読みながら。

 

詩やイラストがたくさん、文字は少なめなので、まだ小さな赤ちゃんを育てているおかあさんにとてもおすすめです。