今日、長崎は去年の7月のような大雨。
目の前の川の様子を見ながら、このブログを書いています。
雨なので読書が進む、進む。
最近図書館で出会ったこの1冊を今日は読み終えました。
長崎の隠れキリシタンの方々が弾圧をうけている頃の時代を描いた、
子どもに向けた物語があることを長い間知りませんでした。
郷土の本の中から見つけて読んでみましたが、
あの時代、信仰の自由が許されないという不自由が、
どれほどのことだったのか、思い知らされました。
もちろんこれはフィクションで、全てが真実ではないのだけれど、
それでもあの時代の苦しかったこと、
おかみのいばりようや理不尽さ、
外国に対して発表していたキリシタンの人たちへの対応と
現実の違いなど、今も相通ずるものがあるのでは、と
思うことばかりでした。
食べ物がなくて苦しかったこと、
ころぶと呼ばれる信仰を捨てさせられる激しい拷問のことなど、
文体とともに心に残りました。
同時に、わたしが今長崎に住むことがなかったら、
きっと隠れキリシタンのことも何も知らず、
この本を読んでみようと思うこともなかったのでは。
そしてきっと各地にこのような物語があって、
ただ自分だけが知らずにいるのでは、と思うのです。
自分にできることは限られているけれど、
前の記事で書いたように知ること、読むことは1人でできる。
そのことがこの先にどうつながるかはわからないけれど、
知らない、読んでいない時にはつながらないどこかの線と
交わるために、必要な読書なのではないかと思っています。